仮想ノスタルジア


 窓から見えるのは、さえない街が雨の冷たさに耐えている姿だった。
 一方、デジタルへの窓から見えたのは、雨粒に夕日の色が反射して輝いている幻想的な村の姿だった。
 近年ようやくコンピューターゲームに浸透してきた現実の気象を仮想現実に投影させる『気象連動システム』によるものだ。
 液晶画面にクリエイター渾身のグラフィックが広がる。夕焼けの中で静かに雨が降っており、どこからともなく切なげな音楽も流れている。


 仮想空間のわたしは馬車停の屋根の下、白いベンチで幼なじみを待っていた。しばらくしてペンキの浮いている部分をついついはがし始めたところだ。
 その指は不自然なほどに滑らかに動く。
 「……」
 ――――発生源不明の音楽、無駄のなさ過ぎる動作。そして、このキレイな雨は他人の作った幻想だ。けれども、どこか懐かしさを感じる。不自然であるはずなのに、ずっとこの中にいたくなる。


 「ルノタス、お待たせ」
 不意に現れた人物はわたしの名前を呼んだ。白いローブをまとった青年がわたしに向かってほほえみかけている。彼の瞳は夕焼けの色に輝いていた。よく知った青年だ。
 彼の明るい金髪から滴が落ちる。
 「ジルテラ!濡れたら風邪をひくよ」
 「ルノタスだって、寒かったでしょう。家で待っていてもよかったのに」
 幼なじみ、ジルテラ・ダスクノーツと話すと思わず顔がほころんでしまう。キーボードで表情を変え、ジルテラに言葉を返す。
 ルノタスのごく白に近い金色の髪が揺れる。瞳の色は赤色で細縁の眼鏡をかけている。そういう設定にしている。
 「いいの。ここで待ちたかったの」
 「そう?んー……でもさ、やっぱり一人は危ないよ。以前に比べたらこの辺りは静かになったけれど、まだ魔物がいるし」
 目を閉じて耳を澄ますと、木々と雨の他になにか大きなモノがうごめく音がした。ジルテラとルノタスは今夜も世界の人々のために魔物を倒さなければならない。
 「ありがとう。わたしは大丈夫だよ。新しい魔法も習得したもの。それに、いざとなればジルテラが助けてくれる」
 「ルノタス、頼ってくれるのは嬉しいけれど君は僕を買いかぶりすぎだよ。僕はそんなに強くない」
 わたしより剣も魔法も強いくせに何を言っているんだ、と少し嫉妬する。
 ルノタスは言葉には出さず、彼の瞳を見た。夕焼け色の瞳はすべてを信じているかのように、輝きを忘れることがない。
 彼はわたしが窓の外の人間だという真実も知らないのだ。彼の世界は仮想空間がすべてだということも知らない。
 突然妙な考えに取り憑かれた。画面の向こう側にいる分身は、確かにわたしの精神で動いている。そして、こちら側のわたしは確かに存在していて、何度確認してもこちらが現実なのだ。それなのに、夢の中のように思うことがある。
 ジルテラのように、すべてを信じたい。だけど、わたしはすべてを疑っている。世界に影響を及ぼさない、わたしは本当に存在していると言えるのだろうか。
 耐えきれず不安をキーボードで心の中のセリフとして入力する。それに合わせてキャラクターは感情と表情を変える。ストーリーと関係ない文は大概同じような反応で無視されるところだ。  しかし、ジルテラの目は何か迷うように細くなった。何か特別なイベントなのだろうか。珍しく心のセリフに反応した。
 ジルテラは、唇を強く結ぶ。そして小さく息をつき、やわらかくほほえんだ。彼はまっすぐにルノタスを見る。


 「ねぇ、ルノタス」
 「君の心は確かにここにあるよ。それは真実だ。それはね、君の悩んだ顔を見て僕はなんだか苦しくなるし、君がここで僕を待っていてくれたことが嬉しかったからだよ。君がいなければ、こういったことは起きなかったんだ」
 「それにね、僕もみんなも君が好き。君がいるから、僕もみんなもいる。それじゃあ、だめかな」
 彼の言葉で胸が締め付けられる。わたしはこの世界の人間じゃない。パソコンの電源を切ってしまえば、たちまちあなた達は消えてしまう。
 ――――それでも、あなたは私を信じてくれるの?
 画面がゆがんだ。涙が止まらない。もう一つの、わたしの世界が愛しくて、愛しくて、切ない。
 なぜジルテラに触れないのだろう。ルノタスが彼に触っても、わたしはなにも感じない。彼は、ルノタスに触れるのに。
 「ジルテラ……どうしてわたし、ジルテラに触れないのかな?どうしたらあなたに触ることができるの?もっと近づきたいのに」
 「……」
 ジルテラは何も言わずにルノタスをただ見つめる。雨が静かに止んでゆく。画面の外も中も夕焼けに染まる。現実の気象に連動したシステムは、いつもよりも臨場感にあふれていた。
 沈黙が気まずくなり、わたしは天気の話に逃げた。
 「えっと……あ、ジルテラ!雨、止みそうだね」
 「ホントだ。すごく夕焼けが綺麗だ。ね?」
 ジルテラの笑顔は、あらぬ方向に顔を向けられた。彼の瞳は、その空間のさらに先を映していた。
 夕焼け色の瞳が輝いている。画面から、彼の目から視線をそらす事ができない。
 ――――そんなまさか……
 心臓の鼓動が早くなる。頭の奥がくらくらする。脳内が混乱している。
 でも、これは、確かに……
 ――――目が合っている……!
 目を丸くしているわたしに、ジルテラがおかしそうに笑った。
 「そんなに驚かないでよ」
 液晶で表示されるルノタスは、無表情のままだった。彼は彼女ではなく、現実のわたしに話しかけている。
 「僕は、ずっと前から知っていたよ。僕はルノタスの姿の、その向こうにいる君の存在を知っていたんだ」
 「なぜ、どうして」
 震える指で、ようやく打ち込んだ。こんなことはあり得ない。これは都合のいい夢だ。
 「いつ話そうか、悩んでた。このことを話して、もしも君がいなくなってしまったら……そう思って言えなかった」
 静かに語るジルテラは、優しい目でわたしを見た。少し不安そうな目だった。わたしは涙を拭う。
 「本当は、まだ言わないつもりだったんだよ。でも、ルノタスが……君が泣いているのを知ったら我慢できなかった。君に知ってほしいと思ったんだ。僕はルノタスの向こうにいる君を見ていたことを」
 驚いて、嬉しくて、愛しくて、言葉が出ない。涙はいくらぬぐっても、あふれ続けた。
 一言だけ、やっとキーボードに打ち込む。


 「…………………あrgとう」
 「ははっ、ごめん」
 入力ミスをしたルノタスとわたしに向かって、ゲームの世界のジルテラは夕焼け色の目を申し訳なさそうに細くして笑った。

 現実の窓の外も、仮想現実への窓の向こうも真っ赤な夕日が沈んでいく。
 この美しさに優劣など付けがたい。
 

 心を動かされたのなら、それはもう現実も仮想現実も関係ないのだ。
 どちらもわたしの世界で、愛しいわたしの世界。

 わたしは、このあたたかい気持ちを大切にしたい。



(編)2010/10/18-2013/10/06