Loophole of daily life.



 坂下が部活をサボった。今日だけではない。この二週間は、ずっとだ。今まで毎日練習していた彼が、ぱたりと来なくなったのだ。  真面目に部活に参加していた人間が急に来なくなる。何か理由があるのだろう。僕は、坂下を尾行する事にした。


 坂下は帰りのホームルームが終わると、すぐに学校を出た。奴は商店街の賑わいを早足で抜けていく。僕はといえば途中で知り合いのおばさんに話し掛けられ、危なく見失うところだった。坂下の背が高くて良かった。どうにか追いついて住宅街へ出る。
 住宅街は、打ち水をする人がいるだけだった。商店街の活気と比べると、ずいぶんと静かだった。坂下は砂利道に入っていった。気が急いて砂利の音を響かせてしまった。坂下が振り向いた。急いで隠れたが見えてしまっただろうか。坂下はジッと周囲を見渡している。
 しかし彼は気のせいか、と言うように歩みを進める。坂下は建物がより密接している区画へ向かった。


 狭い空間だった。顔を上げると一握りだけ空が見えた。それもすぐに雲が流れてきて、真っ白になった。
 坂下は装飾がない建物の、外付けの非常階段を上がっていく。
 先程は大丈夫だったが、これ以上は尾行がバレそうだ。だが、ここまで来たからには理由を知りたい。
 部活をサボってまで、こんな路地に入り込んで坂下は一体何をして……
 「なにしてんの」
 踊り場から坂下が顔を覗かせていた。
 「……わ!?坂下!いてっ」
 焦って段差につまづいた。
 「……さっきから付けてきたの、小畠?」
 「うわ、やっぱバレてた?」
 「ああ。学校から気付いてた。誰かは分からなかったけど」
 「部活、なんで来ないの」
 返答を待つ僕の顔を見て、坂下は小さく溜め息をついたようだった。そして一言。
 「小畠、ちょっと付き合え」


 坂下に連れられて屋上に来た。少し空が近くなった。遠くでチャイムが鳴っていた。坂下が口を開いた。
 「良い眺めだろ」
 「うん、そうだね」
 雲が続々と流れている。西に傾き始めた太陽が眩しい。


 何年か前に行った東京タワーでの景色を思い出した。空が近くて、街が遠かった。外界から隔離されたガラス越しの風景。テレビ画面を見せられてる気分だった。そして陽射しが攻撃的だった。
 今は、町を照らす太陽の光を身近に感じていた。寝転がった坂下が遠くを見ながら言った。
 「俺さ、毎日ここに来てるんだ」
 「部活サボって?」
 「そう。……俺なあ、病気なんだ」
 心臓だか、みぞおちの辺りがヒヤリとした。
 ―――坂下が病気……こんな元気なのに?
 確かに、坂下が部活に来なくなったのは健康診断の後だった。心音に若干の乱れがあって、病院での再検査が必要という診断だとは聞いたが……
 「五月病な」
 「五月病……」


 病名を繰り返した。五月病。意味が頭の中に浸透してきて、ようやく反応できた。

 「…は?」
 「うん。五月病。なーんもやる気しねぇ」


 真剣に考え込んでしまった自分が、急にバカらしくて恥ずかしくなった。坂下はゴールデンウィーク明けの憂鬱だったのだ。僕だってそうだ。してやられた。
 脱力して坂下の隣りに倒れ込んだ。


 「坂下よ……。お前アホだよ」
 「そうだなあ。アホだな。小畠もな」
 「うるせ」
 「もしや心配してくれたとか?」
 「だまってくれ。殴るぞ」
 腕を横に投げ出して坂下の胸を叩く。
 「いてぇよアホ!」
 笑って仕返しされた。僕も、またやり返した。だが、手の甲に激痛が走った。コンクリートを殴っていた。
 「アホコハタ」
 横に転がって移動した坂下が声を上げて笑っていた。
 ふと心音の件について思い出したので、すぐに聞いた。


 「あー。あれ何でもなかったよ。たまにあるんだって。学年でも何人か引っ掛かってたぜ」
 「そっか……。そうなんだ。よかった」


 今度こそホッとした。坂下は、何か思い出したようにニヤける。


 「でさ、その再検査の時にヌルヌルの液体が付けられるんだけどな、」
 「うん」
 「塗ってくれた看護師さんが、すんげぇ美人でさ!心音乱れまくり!」
 「……そっか。お前マジでアホだな。……羨ましいな!」


 そして、坂下の話を元に僕達は美人看護師について色々想像を膨らませた。今度一緒に見に行く約束までした。他にも、学校の鬱憤や女子に関しても話は盛り上がり、話が落ち着く頃には日が暮れていた。坂下と別れる時には、スッキリとした気持ちになっていた。


 明日、坂下は部活に来るだろう。なんとなくそう思った。




(原)2009/05/11 (編)2010/12/11