Daily life like non-daily life.



 白い人差し指が目の前に立てられた。やたらと顔を近づけてきた早川は眉間にシワを寄せて、瞳が爛々と輝いている。しばらくすると両手の指を開いて、見せつける。
 「10秒」
 僕は教室の一番窓側、一番前の席で初夏の陽射しに焼かれた腕をさすりながら、ようやく答える。
 「えっと……重病なの?」
 「違う!テン・セコンド!あっと言う間なのよ10秒なんて」
 「はあ」
 「何よ、その溜め息みたいな返事!やめてよね」
 「それで、早川は僕に何か用があるの?」
 「ないわ!」
 「ないの?」
 聞き返すと一瞬の間ができる。
 「……まあ、ないと言ったら嘘になるわね。ちょっと、ついてきて」


 早川の後に続いて廊下を真っ直ぐに進んでいく。廊下は教師や生徒が歩いていて、時々楽しそうな叫び声が聞こえる。一番端まで来ると早川は向き直り、反対側を指差した。
 「さ、走って」
 「今なんて?」
 「走るのよ。向こうまでね。わかるでしょ?」
 当然と鼻を鳴らす早川の指差す方向を確認する。廊下の端と端は以外と遠い。
 「それで、どうするって?」
 「何回も言わせないで!イライラするわね!」
 「廊下は走っちゃいけないんだよ」
 「それは危ないからでしょ!危険がないように走ってよ」
 また反対側に目をやる。昼休みなので通常より人が多い。
 「ごめんね早川。僕ちょっと理解できない。何か意味があるの?」
 「ないわ!」
 「ないの?」
 早川は少し考え、ゆっくりと口にする。
 「ないわ」
 「もし理由があるなら、聞いていいかな」
 「いいわ。教えてあげる」
 彼女は先ほどよりも冷静を取り戻したようで口調が穏やかになっていた。瞳はやはり、どこからか集めた光が強く輝いている。
 「あんたが、いつもボンヤリしているからよ」
 ――それは、今に始まったことではない。
 そう言いかけて、やめた。彼女の事だから、もっと核心に迫った理由なのだろう。しかし僕は、その事は言わない。恐らく分かったような言葉は彼女の精神を逆撫でする。ケンカは嫌いだ。だから、またボンヤリと答える。
 「うん。そうかも」
 「…そうかもって、あんたね。たまには反論しなさいよ」
 「やだよ。ケンカ嫌いだし」
 何か思う所があったのか、早川はむっすりと俯いてしまった。
 「あのね、早川は好きだよ」
 妙な間があく。次第に頬を赤くする早川。
 ――あ、間違った。
 僕は彼女が受け取ったであろう意味に気が付いた。ケンカは嫌いだが早川との言い合いは好きだと言いたかったのだ。
 しかし、彼女に対するそういった好意も確かであり、あえて否定する必要もない。
 ――まあ、いいか。
 自分の中で結論が出ると、始業のチャイムが鳴る。早川は、ハッとすると鬼気迫る勢いで問う。
 「今なんて?」
 「授業始まっちゃう。教室戻ろ」
 「今なんて言ったの!答えなさい!!」
 僕は、すり抜けるように廊下を駆ける。
 「待ちなさい!武藤!今のどういう意味よ!!」
 ――聞こえてたんじゃん。


 早川の怒声を背に教室へゴールする。現代国語の先生は教卓に着いていて、穏やかな声で着席するように促した。
 早川は息を切らしながら入室し、危なく先生にぶつかりそうになっていた。先生は再び着席を促し、席に着く早川は、僕に最高の睨みを利かせていた。怖いので、窓の外に目をやる。それもガラス窓にうっすらと彼女が見えて、余計に怖かったのだが……。
 目を瞑り、しばらくすると僕の意識は陽射しの向こう側へと飛んでいった。




(原)2010/06/20 (編)2011/12/11